黒坂麻衣さん

黒坂麻衣さんが亡くなりました。7日のことです。信じられなかった。でも受け入れるしかないとも思いました。とても苦しかったです。あの時こうすればよかった、ああすればよかったばかりが頭をよぎりました。麻衣さんが帰ってくるわけでもないのに。後悔です。先ほど麻衣さんのお母様からメッセージがきました。そして私が告知をすることを承諾してもらいました。私は麻衣さんを深く愛していました。私は彼女の恋人でしたから。少なくとも私自身はそう思っています。正直に彼女は色々な問題を抱えていて、私としても大変だったけど… しかし、それでもそれに勝る喜びが常にあった。麻衣さんは素晴らしい人だった。彼女は私を感動させてくれたし、とても聡明な意見をくれて救われたことが何度もある。今私はとても苦しいですが、彼女に出会わなければ良かったなんて決して思えない。とても幸せな日々だった。感謝しかない。幸福と笑いがあった。楽しかった。同じ芸術家として色んなことを話した。そういった想いは時がたつにつれ、ひょっとしたら薄まるかもしれない。でも消えることはないでしょう。今のこの苦しみを超えて私は立ち直ります

 

 ずっと固形物が喉を通らなかったが、今日やっとまともな食事をすることができた。といっても立ち食いそばですが。そういえば麻衣さんと最後に一緒に食べたのも立ち食いそばでした。先日友人と会い「麻衣さんは荒んでいた杉本さんを救うために現れて、その役目を果たして去って行ったのでは?そんな感じがする。杉本さんは変わったから」というようなことを言われました。確かにそうだとしか思えない。そう思わないとやっていけない。亡くなる数日前に彼女は私の今度リリースされるCDのために絵を仕上げてくれました。彼女が去っていった悲しみを超えて私は生きなければいけない。そしてその生き方も変えなければ。自分の仕事に全力で挑もう。ここ何日かはずっとそういうことを考えてきました。出会う前から麻衣さんの描く絵にとても惹かれていました。彼女の絵には極めて非凡なものがあった。私にはそれがよくわかります。それを研ぎ澄ましていけばなにかとんでもない作品が出来たかもしれない。しかし、それは危険な賭けだったかもしれません。芸術家の人生とは、生き方とは何によって決まるのか?私は、長く生きることでも、作品の数でも、もしかしたら成し遂げたことによって決まるのでもない気がしてなりません。可能性の追求が出来たか、だと強く思うのです。作品は可能性の追求の過程で生まれる派生物なのではないのでしょうか?もちろんそこにはこの追求の痕跡があり、それを通してなにかが受け継がれていく。過程だけがすべてなのです。私は麻衣さんと一緒の現実の幸福も求めていた。だがそれは極めて難しかったと思います。私と麻衣さんとの時間はふたりの社会不適合者(芸術家)による可能性の追求の旅のようなものでした。出会いも必然だったと思います。全てが運命だったのでしょう。

 

無茶苦茶な旅だったけど、とても楽しかったよ、麻衣。私のダメ人間ぶり、社会不適合者ぶりはこれからも変わらないかもしれない。でも、あなたからバトンタッチされたもの、そして自分の理想は決してなくさないよ。I was really happy to have met you.

 

思ったことをすべて書いたように思います。