TV

我が家にはテレビがない。昔はあったが、あるコンサートでテレビを使用した帰りに駅で、運搬中のちょっとした不注意から台車から外れてしまい、そのまま階段を転がり落ちて、使い物にならなくなってしまった。2年前の話である。
テレビがあった頃は、家にいる間はほぼつけっぱなしだった。しかしなくなっても、特にどうということはなかった。観たいと思ったことすらない。むしろなくなってよかったと思っているし、今後手に入れたいとも思わない。しかし、テレビを見なくなった分他に何か有意義なことをしているかというと、それも疑問である。読書や音楽鑑賞の時間が増えたとか、人生を思索する時間が増えたとか、そういう事は一切ない。テレビがあったころと何ら変わっていない。ただテレビが消えた、それだけである。
ところが、行きつけの飲み屋(最近出来た)には大画面のテレビがあって、そこに行くとどうしてもテレビに目が釘付けになってしまう。普段見ていないものへの物珍しさから逃れる事は難しい。テレビを久しぶりに観るようになって今更思うのは、こんな低俗でくだらないメディアは他にないだろうということ。もともと芸能・スポーツ関係には疎く、加えて長いブランクがあるので、出ている人のほとんどの素性が分からない。特にお笑いの人達は名前すら聞いたことのない人達ばかりだ。しかも全く面白くない。芸人の質は明らかに落ちている。
歌も、年末にその店で紅白歌合戦を観ていた時に思ったのだが、歌詞が酷すぎる。曲に関しては、コード進行やメロディーには限界があり、しかも分かりやすくなければいけない訳だから、似通ったものが増える、それはまあよしとしよう。そこには何も期待していない。それ以前に、もともとこの手の音楽なんてどうでもいいわけだから、すべてどうでもよいと言えばそうなんだが、それでも「愛」とか「勇気」とか「希望」とか「信じること」とか「人生の意味」とか「私の生きた証」とかの言葉が歌詞に登場すると私は無性に腹が立ってくる。こういう嘘八百を歌って恥ずかしくないんだろうか。私は死んでも出来ない。もっとも、こういう歌詞も100あるうちのひとつくらいだった、我慢も出来るし、存在価値もないわけじゃない。ところが世に生産されている歌の半数近くがコレで占められているのではないだろうか。愛とか勇気が大切なのは分かりますよ。だけど、多くの宗教家や哲学者、文学者や詩人が人生をかけて取り組むような重要なテーマを軽々しく歌うなよ、と思うなあ。いくら商売だからって(いや商売だからこそなのか)、こういう無内容なものは勘弁してほしい。まあ、歌っている人達、作詞家、作曲家、レコード会社、これらの方々は一応成功しているわけだ。だからこそこういう歌に抵抗がないのだろう。しかし、そういうことを考えるとこの手の歌の真のメッセージは別にある気がしてくる。「勝ち負けが全て」「大切なのは利益を生むこと」「お金があってこその未来」こんな感じじゃないかな。
あとCMも気になった。最近のコマーシャルは一体何の宣伝をしているのかさっぱり分からない。業種すら不明なものもある。比較的分かりやすいのは、車、携帯、一部の保険関係くらいである。車は免許もないし生涯運転するつもりもないから関係なし。私は携帯電話も持っていないし手に入れるつもりもないのでこれも関係なし。保険は言わずもがな。残りのCMは意味不明なものが多いので、もはや私にとって関係のありそうな宣伝はほぼないと言っていい。もっとも夜のCMしか見ていないから昼間のは分からない。一体何のCMをやってるんですかね。今世界は何を売ろうとしているのか?
基本的にテレビはくだらない。しかもそれが加速している。低俗の王様である。だけど、なくなってほしくはない。半端にくだらないものは世の中にいっぱいあるが、これらは消えてもらってもかまわない。しかし、低俗を極めた(とは少し言いすぎか)テレビのようなものはなくなってはならない。人間にはそういうものが必要だ。また、こんなことも思う。世の中には立派なものとゲスなものがあって、それぞれ面白いところがあるが、それらをつなぎ合わせる対位法もあってほしいと。