エノキタケ

家から徒歩20分くらいのところにある公園に野生のエノキタケが生える。そのことを知ったのは一昨年の12月だったか、去年の1月だったか。たまたま公園を通過中に、切り株からキノコが大量に生えているのが目にとまった。冬に生えるキノコは珍しい。恐らくエノキタケだろうとあたりをつけて数本を持ち帰り、図鑑やインターネットで調べた結果、これは間違いないという確信を得た。もしかしたらニガクリタケ(猛毒菌)では、という若干の不安もあったが、こちらは噛むと強烈な苦味があるという。もちろんそんなものはなかった。むしろ甘い香りがした。さて、そうとわかれば試食である。炒めたり、天ぷらにしたり、味噌汁に入れてみたりしたが、どれもが美味しかった。私はキノコのフィールド歴が極めて浅く、同定できるものが少なかったので、限られた野生のきのこを食べた経験しかなかったが、それでもこれは美味しいと思ったものである。その時から一年が過ぎ、食べた野生のキノコの数もふえたが、それでも一位二位を争うくらいに美味しいと思う。
そんなわけで最初の遭遇の後、雨が降った後はよくこの公園に出向いてみたが、エノキは大概生えていた。少し温かくなって、しばらくエノキは出てなかったので、そんな事はすっかり忘れてた頃、ある用事のためにこの公園を通過中に干からびてその切り株から剥がれ落ちた2〜3のエノキの束を見つけた。3月の下旬だったと思う。そんな時期まで発生するものなのか。では発生し始めるのはいつごろなのだろう?そんなことを考えて私は仕事に向かった。
その後しばらくエノキのことは忘れていた。当然である。時期が過ぎてしまって生えないキノコの事を考えてもしょうがない。そのエノキの公園を訪れる理由も、多くの場合は、その近くの古本屋(John AshberyとKenneth Kochの詩集を見つけたのが去年の収穫であった。しかも各200円)に用があったり、電車賃を節約するために歩くコースの通過地点であったというのに過ぎなかった。この公園にはあまりキノコは生えなかった。
春から秋にかけて、私は別の幾つかの公園でキノコ観察を続けていた。私にとって初めてのキノコの春であり、キノコの夏であった。30〜40種類のキノコ(これは同定できた種の数で、不確かなものや分からないものは同じ数かそれ以上あった)に出会うことが出来て、実に楽しい観察の日々であった。
10月も後半となって、キノコもあまり見かけなくなった頃、たまたまエノキの公園を通過していると、例の切り株から剥がれて地面に落ちていたエノキの束を発見した。すっかり干からびていたが、一本の柄の長さが6〜7センチはある立派なものあった。意外と早い時期から生えるんだな。これで、だいたい、10月下旬から3月下旬までがこの公園でのエノキの発生期間であることが分かった。これはかなり長い。さすがライバルの少ない寒い時期を選んでいるだけの事はある。
再会の日の2〜3日後もこの公園を通った。切り株に目をやると、タコウキン科のキノコに切り株を占領されている。ほぼ全面である。たった2〜3日でこの快挙。菌の世界は分からない。問題は別の菌に占領されたことによって、エノキタケの発生が妨げられるのか、そうでないのか、ということであった。そのことが知りたくて、足しげく公園に通ってみたが、雨の後など占領されていないわずかの隙間から傘の大きさが2〜3ミリの小さなものが数本生えていたが、これらは成長することもなくそのまま腐っていった。
今年になって、雨が続けてふったので、ねんのためにその公園に行ってみた。先週の金曜のことである。切り株にエノキの姿はなかった。公園では伐採が行なわれており、切り株周辺は木のない寂しい風景となっていた。ところがである。エノキは切り出された丸太の数本に生えていたのである。素早いというか、融通無碍というか、大したものである。量もかなりのものであった。一体地下の世界では何事がおこなわれているのだろうか?
これだけの話である。ある見方をすると、私の一年はこうして過ぎていった。