『下北沢百景』

『下北沢百景』という本を計画中である。共同執筆者は飯田克明と呉一郎。飯田さんは詩人で、たまに絵描きで、ボヤキ屋で、下北沢一番街の小さな居酒屋(と行って良いのかな)『第二休憩所』のマスターでもある。知り合ってまだ5〜6年だが、ここ数年は夜の社交場で深い付き合いをさせていただいている。呉君とは21年来の知った中であるが、近年は会うことがほとんどなかった。それが一年ちょっと前に偶然に道で再会した。このときは思わずハグしてしまったものである。私と飯田さんが参加したライブにも来てくれた。彼もまた音楽家である。イージー・リスニング風なんだがちょっと風変わりな音楽をやっていて、もらったCDはとても興味深かった。『下北沢百景』の案は私と飯田さんとの間で2年位前からあったのであるが、もうひとり仲間がほしかった。ちょうどそこに呉君が登場したのである。「呉君」と慣れ慣れしく呼ばせてもらっているが、彼は私より年上で下北沢在住歴も長い。まさにうってつけの人材である。さて、いよいよスタートだ。第一回編集会議もおこなわれ、トピックの選定と担当執筆者も決めた。原稿も少しづつ集まってきている。完成してないのに言うのは気が引けるが、この本は巷にあふれるタウンガイドやグルメ本とはまるで異なる。うまい料理を食わせるところや洒落たカフェはほとんど登場しない。むしろ不味い(けれども安い)店のほうを贔屓している。もう存在しないところが多い。いかに下北沢にとんでもないところがあったかを書きたいのである。そういうものについて書く常として、そこには客観性もあまりない。極私的視点で書かれる裏下北沢史である。または下北沢フォークロア、民話だ。いつの日か文化人類学者が下北沢のことを調べる時、我々の本がきっと参考になるはずである。それはもちろん冗談だが、原稿執筆中に我々のトピックに関していくつか不明な点がありネットで調べてみたのだが、得られる情報は極めて少なかった。我々の挙げるトピックがかなり特殊であると言う事情もあるが、誰もが何らかの記録を残そうとおもってアノ店コノ店に通っていたわけではない。ただ普通に生活していく中でそれらの店の存在があったまでの話である。私にしても正確に思い出されることはそれほど多くはない。いくつかのエピソードが非連続に表れるだけである。それでも書いておけば、何らかの意味は持ちえるかもしれない。これ以上ほうっておけば記憶はますます曖昧になるだけである。
さて、我々はなんとしても『下北沢百景』を出版したいが、出版社に知り合いはほとんどいない。誰か興味ある人いませんかね?