新年

なんだかあまり意識せず、気がついたら2010年になっていた。歳を取るにしたがって、正月だとか、クリスマスだとか、盆とか暮とか、そういったものに興味がなくなってきました。ただ暑いか寒いかの違いというか。子供の頃は、お年玉とか夏休みとか、家族でどこかへ行ったりとか、そういった実際的なことがからんでいたから、それなりに意味があったのだが、もはや何もない。家にはテレビがないので、正月ムードを強要されることもないし。まぁ、これは良いことかもしれない。買い物に外に出ても、流石に下北沢、店は大方開いてる。まあ、着物とか羽子板とか凧揚げとかの牧歌的風景はここいらあたりでは見なくなって久しいが、それにしても正月らしさがほとんどないぞ。若干、人が少ない気がするだけ。盆も暮もない街。店内の空調が冷房か暖房かの違いだけ。良いことなのか、悪いことなのか、それは私には分かりません。
正月、私は読書してました。普段と同じ。ホワイトヘッドの"THE FUNCTION OF REASON"を読了。パンフレットに毛がはえたようなヴォリュームの本なので、これはすぐに読んでしまった。新宿に用事があり、ついでに本屋を覗くと、この本の翻訳があったので少し読んでみると、う〜ん、何でこんなに堅くなるのかな。内容を実直に伝えようとするとこうなってしまうのか。非常に堅苦しい日本語で、こんな難しいものを読んでいたのか、という気分になった。これはこれで誠実な翻訳なのだと思う。ただ、この手のものはなるべく原著で読もう、という気にはさせた。翻訳というのは難しい。使用する言語によって、表現される内容が変わりうるであろうから。そこを考えなければならない。ただの変換では翻訳は成立しない。大変な仕事ですなぁ。
私も、読みやすい日本語であれば、できれば翻訳で読みたい。というより他の外国語は英語しか知らないので、大概は翻訳ものに頼ることになる。やはり日本語は楽だし。たまたまよった本屋でファイヤアーベントの『方法への挑戦』(村上陽一郎訳)を買った。ずっと読みたいなと思っていた本。実は原著のペイパーバックもあったのだが、迷ったすえに翻訳ものを選んだ。理由として、まず日本語が読みやすかったこと、内容を思うと辞書を引く回数が多くなりそうで面倒くさいと思ったこと、それとペイパーバック版の字が小さくて老眼にはきつそうだったことが挙げられる。原著の題名 "AGAINST METHOD"が『方法への挑戦』となっているのも気に入った(これは訳者の意図ではないかもしれないが)。なんかファイヤアーベントらしい。――少し読んでみたが、こういうのが知的読み物なんだと思う。こちらも色々考える。そういえば、去年の今頃もファイヤアーベントを読んでたんだよなあ。