lomansushi

lomansushi Tokyo tour

lomansushiとはスイスのManfred Werder、韓国のlo wie、日本の杉本拓、デンマークのSimon Roy Christensenによって昨年の11月に突然結成されたバンド。lo wieのアイデアでみんなの名前の頭文字をくっつけてその名前になった。
一応バンドではあるが、4人が本当にそろうのは実は今回が初めて。初コンサートは、私とシモンが代々木公園、マンちゃんがチューリッヒの川べり、エロロ(lo wieのことを私はこう呼ぶ)がソウルのナムサンフラット(ひらたく言えば彼女の家)で、マンちゃん作曲の”4 performers”を同時刻に演奏するというものだった。
我々はみんな野外での演奏が好きだ。それぞれがひとり、あるいはlomansushiのメンバーを含む仲間達と共に、公園や川べりや駅前等の様々な場所で演奏をしている。もちろん、今回も野外コンサートは計画されていて(というかこちらのほうがメインのような気がしないでもない)、色んなところに出没するつもりである。Tokyo tourとうたったのはまあそういうことだからです。野外での予定は、28日と29日の昼から夕方にかけて都内のどこかで、ということしか言えませんが、興味がある方は声をかけてくれれば、場所と時間を教えます。あるいは、twitter等で情報を流すかもしれません。多分直前(前日か?)になるけど。
正規のコンサートは大崎のl-eで27日と28日の二日間。27日の方は、昼過ぎ(2時半)から夜(9時くらい)までの長丁場で、さらに“実験音楽演奏会”のみなさんとの合同、という曲者企画。何が起こるのか?あるいは何も起こらないのか… 27日は単体のlomansushi。恐らく、何も起こりそうにない(でも確実に何かは起こる)音楽を粛々と演奏するのでは。
それと、もうひとつ関連コンサートを企画しているのですが、これも興味のある方はメンバーまで。
(杉本拓)


2015年9月27日(日)& 2015年9月28日(月)大崎l-e http://www.l-e-osaki.org/

9月27日(日) 
lomansushi × 実験音楽演奏会
開場14:00  開演14:30 21:00頃終演予定(出入り自由)
第1部 14:30〜17:30 
休憩  17:30〜18:30
第2部 18:30〜21:00
1日券 予約:3000円(1ドリンク込み) 当日:3500円(1ドリンク込み)
1部/2部のみ 2200円(1ドリンク込み)
出演 : lomansushi (Manfred Werder、 lo wie、杉本拓、Simon Roy Christensen)
 実験音楽演奏会(小林寿代、佐々木伶、高野真幸、中条護、平野敏久、山田寛彦、米本篤)


9月28日(月)
lomansushi
開場19:30 開演20:00
予約:2200円(1ドリンク込み)

コンサート


@osaki_l_e: 6/21 l-e実験音楽演奏会 10
開場/18:30 開演/19:00
1500円+1ドリンク

ゲスト:杉本拓

出演:
小林寿代
佐々木伶
高野真幸
山田寛彦

作曲:
小林寿代 内容は未定
高野真幸「サイコロを使います」
山田寛彦「雨」をテーマにソロで演奏します。

http://www.l-e-osaki.org/


7月4日(土)午後7時開場、7時30分開演
『Ftarri 3周年記念、その 1』
大蔵雅彦 (リード) + 池田陽子 (ヴィオラ) + Leo Dupreix (エレクトロニクス)
ffrond:白石美徳 (ドラムス) + 落合四郎 (ピアノ) + Tyler Eaton (コントラバス)
杉本拓 (ギター) + 山田光 (アルト・サックス) + 高岡大祐 (チューバ)
最後に全員で集団即興演奏をおこないます。
予約・当日ともに 2,000 円(予約はポイント8倍)
出演者のうち、ffrond、Leo Dupreix ほか数名の演奏(主にソロ演奏)を数曲収録したCD-R『Ftarri Third Anniversary, Vol. 1』(meenna-888) を、予約・当日いずれの入場者にももれなくプレゼントします。内容の詳細は決定次第お知らせします。
主催:Ftarri
この日のお店の営業時間は、午後3時30分から7時までとなります。

http://www.ftarri.com/suidobashi/

お客さんがぜんぜん来なくなったということをこの日記で嘆いたのは何年前だったろうか?
なかなか二桁にするのが難しくなったと。
今、状況はさらに厳しくなりつつある。
先日、l-eでのChiristian Kobiとのデュオ・コンサート(この日の有料入場者は3人だった)に来ていた木下和重さんと「最近は5人以上呼ぶのが難しくなったね」という話をしてたら、前の方から「俺なんか2回連続お客さんゼロ」という声が…
実際に「集客ゼロ」という話はよく聞く。昨日バイトで一緒だったキャプテ○も前日のライブの集客がゼロだったとのこと。
私も少し前に「ゼロ」を体験した。
ひたひたと迫り来るゼロの恐怖! その回数はこれからも増えるだろう。
いつ迄続けられるか。


2015年5月2日(土)
杉本拓、Simon Roy Christensen、lo wie
開場 19:30 開演 20:00
1500円+1 drink
大崎 l-e
http://www.l-e-osaki.org/?m=20150502


Simonはデンマークからやって来て今日本に留学中の若き音楽家。最近一緒にやることが多い。彼には色んなことを教わった。私が能にはまったのも彼の影響である。
lo wieはRyu HankilとともにA. Typistというユニットで活動している。一月ほど前にスイスのチューリッヒ各所で、そのユニットのふたり、Manfred Werder、それに私のカルテットで野外コンサート(もちろんゲリラ)をやった。お客さんと言える人はいなかったが、とても楽しかったなあ。これからはこういう活動が増える気がする。
l-eでのコンサートで彼らが何をするのかは知らない。自分が何をするのかもまだ決めてない。
ゼロじゃありませんように!

cchristian kobiのインタヴュー

Christian Kobiのインタビューの訳を載せます。といっても完全なやっつけ仕事です。ヨーロッパに行く前にやっておきたかったのだけど、それはかなわず。帰ってきてからもまったく出来なくて、結局数時間前から取り掛かってテキトウにでっち上げたという、夏休みの宿題のようになってしまいました。
元ネタは↓ こっちを読んでください。
http://www.tokafi.com/15questions/christian-kobi-interview-inner-dialogues/



<あなたはライブでの演奏や録音、またレーベル経営、フェスティヴァルのオーガナイズと様々な活動をしていますが、それらの違いをどのように考えていますか?>

ひとつひとつの活動はおたがいを補完するような関係にあります。もちろん、その中のひとつに時間とエネルギーをより使ってしまうことはあります。私は毎年、大概は四つか五つの、創造的で発展可能な面を持つことにして、それらを使って自分自身の仕事をします。その瞬間を認識し、また作ることは大変ですが…<重要なサックスのソロ・アルバムは様々なジャンルに広がってありますが、どれが個人的に重大な影響をもたらしたでしょうか?>

サックスのアルバムというのであれば、後期のコルトレーンのものになるでしょう(集団演奏でないもの)。あるいはエヴァン・パーカーのライブ録音か。さらにもうひとつがあるならば、それはジョン・ブッチャーのBell Trove Spoolsとなったでしょう。<ソロで演奏するということは、グループでの相互作用のある演奏と比較して、どのような意味を持つでしょうか?>

2010年のソロ活動は長期にわたる研究の締めくくりとしての必要性から生じたものです。あまたのサックスのアルバムの中に一席を持とうという意図はありませんでした。私はただ自分が成すべき何かをやっただけです。ソロで演奏するということ完全な自由を得ると同時にまったく何も得ないことでもあります。そのことに私は多くの時間を費やしています。日常生活においてもそうなのです。私は絶えずそれについて問わずにはいれません。私が伝えうるものの中で最高度の明確さの基準を要求するのですから。グループでは、他の要因が演奏に入り込んできます。私にとってそれは、身体性や個性を認識する能力がそこに含まれてしまうということです。
ここ数年は、楽器の潜在的な音(inner voice)に興味を持っています。あ例えば、楽器がほとんど意図鳴らされたとき、その音にももたらすものは何か?あるいは、“ppp”の範囲内で、如何に新たなダイナミクスを獲得することができるか?私はこの境界線にあるものを求め、それらを文字通り音にしてみたいのです。けれども私には、音楽的な素材をなるだけシンプルにしておきたいという目標があるのです。<あなたの新しいソロ・アルバム”Raw Lines” には息をのむような強度があります。アルバムで用いたテクニック及びあなた独自の演奏方法について述べてもらえますか?>

マイクを楽器にとても近づけて録音したことがその強度を生んだことは間違いないでしょう。私が興味を持っている顕微鏡的アプローチです。何かにちょっと浸った音を、澄んだ、聞こえる音にするのです。テナー・サックスとフィード・バックの曲では、私は楽器を演奏していません。代わりに、サックスの自然な共鳴とエネルギーに働きかけたのです。楽器を用いてはいますが、実際にはちゃんと演奏していないのです。それは、自分にとって新しく、また挑発的で取組むべき課題でした。<新しいアルバムと”CANTO” との顕著な違いはどのようなものでしょう?>

最初、曲に関しては三つか四つの漠然としたアイデアを持っていました。いくつかの曲は基本となる構造を保持していますが、大きく発展したものもあります。如何にひとつのセッションが実際におこなわれる事を強制するか、というのは興味深くないですか?後戻りはないのです。
コンセプトとしては、”CANTO” と ”Raw Lines” は異なったふたつのアルバムです。それら一緒にしているのは、私がある三部作を始め、そのアルバム達が私のいる場所をそれぞれに示すという意味をあたえられているからです。私が何によって、そしてどこに向かっているのかを。私にとって重要なことは、素材を扱う際の一貫性であり、両方のアルバムにはそのことが不可欠となっているのです。<三部作の最後の作品はどのようなものになると考えていますか?>

これまでのアルバムはそれぞれ個別のテクニックに的を絞ってきました。そのことによって音楽性が損なわれたとは思っていません。しかし、如何にラディカルであるかということに妥協せずに、もっと自由に演奏してみたいという気持ちもあります。特定の空間とともに一度仕事をしてみたいし、あるいはそれは、あらかじめ決められた環境でもいい。春に2週間バルト海に行くので、フィールド録音をするつもりです。楽しみです。

By Tobias Fischer

コンサート

12日からヨーロッパに行きます。帰った翌日は私のやっているバカ・パンク・バンド、下北沢ファンクションズのライブがあります。以下の情報を見つけました。
http://d.hatena.ne.jp/kyoshinkai/20150306/1425629343
http://yoneden.cocolog-nifty.com/blog/cat20482246/index.html
我々のやっていることを平たく言えば、たぶんハードコア・スカムです。それを真剣にやってます。でも表面上は、昭和歌謡、ボサノバ、スカ、ブルース・ロック、即興と多彩な音楽性があるんですよ。問題はそれが全部インチキであることですね。ファーストCDも間に合うかな?
その後はChristian Kobiです。今回は東京のブッキングを私が、関西方面のを江崎将史さんがやってます。私はしばらく即興からは遠ざかっていたのですが、去年の10月にChristianのバンドとスイスをツアーしていた時に、何故か、突然炎のごとく、「あっ、こういうのはいいなあ!」と思ったのです。ベルン大聖堂でのコンサートの時でした。私も即興をもっとやりたいなあと思ったのですよ。そのことを話すと長くなるので、今はやめときます。
今回のフタリでのコンサートには、私の独断で二人の若い音楽家を呼びました。佐々木怜君は私が大崎のl-eでやっていた「実験音楽スクール」(という名前でしたっけ?)の受講生で、何と言うか変わった人でして、作曲作品は非常に独特です。同じギタリストなので、彼が即興でどういうギターを弾くのかが気になりますねえ。フルートの池田若菜さんは即興バンド『發展』での演奏がとても新鮮でした。音がきれいで、むさくるしさがなかったです。それと個人的にはフルートなのに倍音が強調されていて、これが気になりました。
さて、どうなりますでしょうか?


Christian Kobi  クリスチャン・コビ
スイスのベルン生まれ。バーゼル音楽大学(Hochschule für Musik)でクラシック音楽を学び、さらにパリ(パリ国際芸術都市Cité Internationale des Arts)、ルツェルン修士)、チューリッヒ(博士)において、即興演奏や現代音楽の作曲といった分野での専門的な研究をおこなう。
地元ベルンや国内外において、ソロや様々な即興演奏のグループとともに活発な演奏活動をおこなっている。Fritz Hauser, Katharina Weber, John Butcher, Lionel Marchetti, Christian Wolff, Sylvie Courvoisier等と録音およびコンサートで共演。
2004年より、ベルン大聖堂で開催される即興演奏のフェスティヴァル»zoom in«を主催し、アーティスティック・ディレクター務める。新しい音楽のためのレーベル«CUBUS RECORDS»の共同創立者でもある。2012年と2013はSzofa Budapst(ブダペスト)のアーティスティック・ディレクターを務めた。
数々の録音に参加。最新作は” r a w l i n e s” 。


4/8(水)
Christian Kobi/徳永将豪 デュオ

出演:
Christian Kobi(soprano sax, tenor sax)
徳永将豪 (alto sax)
ゲスト:杉本拓(guitar)

開場19:30 開演20:00
800円+1ドリンク+投げ銭
東京 下北沢 Bar Appolo
http://ameblo.jp/430416apollo/


4/9(木)

出演:
Christian Kobi(soprano sax, tenor sax)
木下和重(violin)
佐々木怜(guitar)
杉本拓(guitar)

開場19:30 開演20:00
2000円
東京 水道橋 ftarri
http://www.ftarri.com/suidobashi/ 


4/10(金)

出演:
Christian Kobi(soprano sax, tenor sax)
大蔵雅彦(reeds)
鈴木学(hand-made electronics)
池田若菜(flute)

開場19:30 開演20:00
2000円
東京 水道橋 ftarri
http://www.ftarri.com/suidobashi/ 


4/11(土)

出演:
Christian Kobi(soprano sax, tenor sax)
高岡大祐(tuba)
江崎將史(trumpet)

開場19:00 開演19:30
予約1500円+1ドリンク
当日1800円+1ドリンク

大阪 中崎町 common cafe
http://ompasha.blog.shinobi.jp/
予約: ompasha.otononami@gmail.com


4/12(日)

出演:
Christian Kobi(soprano sax, tenor sax)
磯端伸一(guitar)
江崎將史(trumpet)

開場16:00 開演16:30
予約1500円+1ドリンク
当日1800円+1ドリンク

神戸 元町 space eauuu
http://www.musika-nt.com/spaceeauuu/
予約:
078-381-9767
spaceeauuu@gmail.com


4/16(木)

Christian Kobi/杉本拓 デュオ

出演:
Christian Kobi(soprano sax, tenor sax)
杉本拓(guitar)

開場19:30 開演20:00
1500円+1ドリンク
東京 大崎 l-e
http://www.l-e-osaki.org/

core of bells

昨年の12/8、core of bells(http://coreofbells.biz/)の月例企画『怪物さんと退屈くんの12ヶ月』の最終回「ここより永遠に」(そんなタイトルの映画がありました)に出演した。もともと観に行くつもりでいたが、何の因果か、演奏する側になってしまった。私はこれからその日のコンサートの感想をとりとめもなく書くつもりだが、それは当然お客さんの視点からではない。しかし、そこで起こったことを、楽しんだり、びっくりしたり、また笑ったりしたということでは、お客さんも演奏者も大した違いなないと思う。私はあの日にやった曲の構造やルール、それに全体の進行を知っていた。だけど、そんなことを知っていようがいまいが、驚きは別に用意されているのである。もちろん、知っているのそうでないのでは感じ方は違うだろう。私の感想は「知っている」サイドからのものである。しかし、それでもあの日に起こったことはやっぱり「わけがわからないこと」としか言いようがない。そこでは結局何が表現されたのか? というか、そもそも表現されるべきもの何かあるのか? 彼らはひとつの巧妙な装置を作った。それがどう機能するのか―――あるいは全くもって機能してないのか――を見届けようじゃないか、ということなんじゃなかろうか? 違うかな?
私はヴィオラを弾いた。私の演奏力はその楽器を堂々と「弾ける」と言えるようなレベルに達してないので、まあ出す音はほぼノイズになってしまうわけだが、だからと言ってそのことに負い目はまったく感じなかった。だって、まわりを見ると、バレーボールを延々とドリブルしている人、自転車のベルを鳴らすためだけに自転車ごとステージに上げている人、小豆を脚立の上から下に落としている人と小豆をといでる人(それぞれ妖怪の小豆はかりと小豆洗い)、そういう得体の知れない先生方がまわりを取り囲んでいるのだから。core of bellsのふたりのギタリストですらギターを弾いていない。それなのに、ステージでは計3人のゲストがギターを弾いている。これは一体どういうことだ? よく覚えていないが――我々のオーケストラは15人くらいいたのかな――、その半分がまともな楽器を演奏していない。(しかし、ちゃんとドラムとベースを残したのは流石である。このあたりのバランスのとり方はうまい!)
こんなラインナップなので、音の方もさぞかしトンチンカンなものになるだろうと思うかもしれないが、ところがギッチョン、これがなんとも素晴らしいノイズ・ミュージックなのである。私はその音響をとても面白いと思った。曲としてよく出来ていると感じたし、これだけを持ってしても、音楽界に何か物申すことが出来るようなブツなのではないか。
12/8のコンサートでは、我々一人につきひとつのステージを与えられており、このステージが会場のスーパーデラックス内に楕円の形で配置されている。お客さんはこの円の内側や外側の任意の場所でコンサートを体験することになる。あれ、これは何かに似ているな、と思ったら、それは私自身も演奏者の一人だった大友良英氏の"anode"だということに気がついた。(私はコンサートには行ってないので詳しくはわからないが、最近おこなわれたアジアンミーティングのコンサートの配置も、写真で見る限り"anode"の時ととても似ているなと思った。)まさか、もしかして、それの揶揄ですか?
同じようなことをしながら、もちろんCxOxBオーケストラの音楽は"anode"のそれとまったく違う。では、その違いはなんだろう?
"anode"に限った話ではないが、大友さんは共演する個々の音楽家演奏家)の個性や独自性といったものに基礎となるものを置き、それぞれの振る舞いを重視しながら、またそれらの総和としての音楽を問題としている。逆に言えば、個性や出自の異なる、あるいは音楽的なバックグラウンドが違う音楽家を集めて、彼ら自身の独自性を犠牲にすることなく、どのようにして共演出来るかという場を探す試みと言えるだろう。しかし、音楽家の「個性」や「独自性」というのはひとつのシステムから生み出された概念である。「個性」や「独自性」が存在しない音楽だってあるだろう。人に聞かれることを認めない音楽だってあるし、物や空気の振動という物理現象を伴わない音楽だってある(例えば、今私の頭ではある音楽が鳴っている)。様々な音楽のあり方をひとつの枠の中で並列させることが出来るというのは本当は不可能なのである。「様々な音楽」はひとつの音楽の聞き方から生じるものなのではないか? これがなければ、「違い」が分かることはない。色んな民族音楽は、それらが五線譜に書き写されることによって(あるいは音を聴くことによって)はじめて比較が可能になり、違いが認識できる。これを支えているのはひとつの統一的システムだ。この枠に収まるものが「音楽」なのである。だから、音楽の正体がその音響であるということならば、それらを並列させることは出来る。しかし、それは誰の音楽か?
最近は滅多に聞く事が出来なくなったが、豆腐屋のラッパに音楽を感じる人は多いと思う。しかし、この音がどんなに素晴らしいと感じても、もともとそれは「私はここで豆腐を売っていますよ」という意味を持っているのである。これと同じようなことが、我々が民族音楽と言っているものの中にないとは言い切れないはずである。というか絶対にあるに決まっている。いや、どんな音楽にだって、多かれ少なかれそういう要素があるのではないか。現代(近代)の聴取システムが成立するには、様々な音楽のあり方からその機能的役割や意味を引っこ抜いて、それを音律や和声やリズムに還元し、そのことによってそれぞれ音楽の違いが際立つようにしなければならなかった。これによって、様々な音楽を並列に扱う準備が出来た。表面上においてはである。しかし、表面を持たない音楽もあるのではないか?
例えば、上に述べたような並列的オーケストラとケージの『4分33秒』はひとつのステージで共存可能だろうか? 私は可能であるとも思うし不可能であるとも思う。『4分33秒』はひとつの聴き方なので、実際に鳴っている音は何でもよいと解釈できる、というのが可能だと思う理由。だが、もしそういう聴き方が出来たとしても、それでは出自の異なる様々な音楽を聴いていることにはならない、というのが不可能だと思う理由だ。つまりどちらかの音楽にしかならないのではないか?
音楽にはおおざっぱにふたつのアプローチの仕方があるように思う。論理学の用語を借りると(やや乱暴な使い方だが)、それは、音楽の表面を問題とする――実際に鳴っている音を問題とする――外延的聴取と、意味や聴き方を持って音に接する内包的聴取とに分かれる。しかし、表面だけを聴いているといっても、あるフレーズやリズムのパターンはどうしてもそれに対応する意味を示唆しかねないから音だけを聴いていることにはならないのではないか、という疑問もある。では、内包的聴取はどうか。私はケージの『4分33秒』こそその聴取の最右翼なのではないかと考えてきた。この曲は先に述べた通り、実際の音を問題にしていないように思えるのである。聴き方によって音楽はまったく違うものになる、そういう可能性を提示した曲だとと思うのだが。しかし、どうもケージはその後そういう方向に進まなかったように思えてならない。彼は音のシンタックスを拒否した。しかし、どんな音に対してもそういう風に聴くことは可能である。ベートーベンの音楽に対しですら…
CxOxBの選んだやり方はどのようなものだったのだろうか?最初に述べたように、私はその音楽をとても素晴らしいと感じた。要するに聴き方の変更を迫るようなところはなかったと思う。そのことに何の問題もない。それはそれ、ただの音楽としても楽しんで聴けるものであった。しかし、普通はこれでよしとするところに、彼らはよけいな「意味」を過剰にばらまいた。これがCxOxBのとてもユニークなところである。演奏者が形作る円の中央にはまたひとつの小さなステージがあって、そこには3人の男が立っている。彼らはゆっくりと動きながら何かを監視しているようだ。実は彼らはCxOxBオーケストラの指揮者である。お客さんはそのことに気づかなかったかもしれないが。いや我々にとっても彼らは指揮者というよりは怖いお兄さん達であった。演奏者を見張って、音の変化に関して制限を与えるという意味では確かに指揮者なのだが、その佇まいは刑務所の監視員を彷彿させるものがある。なぜかラース・フォン・トリアーの映画『マンダレイ』を思い出した。何故だろう。そんなところが実に味わい深い。もうひとり、4番目の指揮者とでもいえる人がいて、(確か)10分おきに楽屋から登場して時間の経過を知らせるのが役割なのだが、もちろんこの人にもキャラ(意味)が与えられている。「堺正章」とのことだが、あまりにも抽象化されているので、見ただけではわかりませんよ。でも分からなくたってそんなことはどうでもよい。また「子泣き爺」もいました。背後から演奏者に抱きついて、演奏行為を妨害するのである。彼もある意味では指揮者といえるんじゃないかな。演奏者の出す音を制限しているという意味において。となると、計五人の指揮者がいることになるが、どの人もその役割よりもキャラの方が目立つので、音楽とは独立した、おかしなことをやる変な人にしか見えなかったのでは? 彼らの役割を知っていたにも関わらず、私は彼らをそのように見ていたところがある。だからといって進行上何の問題もありません。
私が思う"anode"とCxOxBオーケストラの最大の違いは――それは今まで書いてきたこととも関係しているが――、前者が「豪華メンツによる夢の共演」的な性格を持つのに対して、後者が「妖怪、魑魅魍魎、フリークス達による地獄の宴」の様相を呈していることにある。バスケットボールをドリブルしている青年は本当にただそうしているようにしかみえないし、自転車の人は服装もそれっぽく決めていてまったく音楽とは関係ない人に見える。小豆にしたって、音が問題なら他のものでもいいんじゃないか? しかし、それを言ったら身も蓋も無い。ここはそういうところなんだから。
曲は様々な組み合わせのデュオが発生するしくみになっている。なので、バスケットボーラーやサイクリスト、あるいは妖怪とのデュオが楽しめるようになっているのだ。これが面白くないわけはない。即興演奏家で、バスケットボールか自転車のベルか小豆かを専門に演奏している人、そんな猛者は恐らくいないでしょう? ひょっとしていらっしゃるのかしら? それはともかく、ミュージシャンであろうがなかろうが、みなさんが独自の存在感を持っている。それぞれ醸しだしてらっしゃいますからね。なんかどこかの立飲み屋にいる気分になる。打ち上げの重要性を説くミュージシャンは多いが(私もそうだけど)、もはやこのライブ自体が打ち上げ状態に近づいていったのであった。もう一回やりたいなあ。


↓に出ます。この日はftarriでも夜のライブがあるので、二本立てです。

2014 core of bells 月例企画『怪物さんと退屈くんの12ヶ月』総括会!
http://coreofbells.biz/?p=2935

コンサート

2015年2月27日(金)
大崎l-e
start: 20:00
1500+1d
Niklas Adam solo
Simon Taku duo
杉本拓
Simon Roy Christensen
http://www.l-e-osaki.org/



2015年3月1日(日)
7時30分開場 8時開演
水道橋Ftarri 1500円
山田光・黒澤勇人・大蔵雅彦・杉本拓 コンサート
http://t.co/wvMclr1ktP