聖アントニウスの誘惑

「聖アントニウスの誘惑」とはアントワン(ボイガー)が言ったジョーク。だがどういったコンテクストで言われたかは忘れてしまった。なので、どういう意味でジョークなのかは分からない。ただジョークとして言ったということは覚えている。
2年前、ヴァンデルヴァイザー・ウイークエンドの時、アントワンは家に泊まっていた。我が家の本棚からNelson Goodmanの"Ways of Worldmaking"を取り出すと、「この人は言葉遊びが好きなんだよね、Version and Vision、Notes on Knowing、Style and Subject、Means and Matterとか」。ああ全然そんなこと気がつきませんでした。タイトルからしてそうじゃないですか。詩や俳句の話もした。私はWilliam Carlos Williamsの詩集を手に入れていて、その詩について「俳句みたいですね」と言ったのが発端だったか。ちなみにどんな詩かというと;

Among
of
green

stiff
old
bright

broken
branch
come

white
sweer
May

again

とか

As the cat
climbed over
the top of

the jamcloset
first the right
firefoot

carefully
then the hind
stepped down

into the pit of
the empty
flowerpot

John Ashberyもアントワンに教えてもらった詩人だが、正直これは私の手におえる代物ではなかった。再会した時に「あれは難しすぎる」と言ったところ、「彼の詩は、ある事柄がイメージを獲得し、そのひとつひとつが自由に現れては消えていったりする様を言葉に書き写したものなんだ」みたいなことを言った。う〜ん、分かるような気もするが。それ以前に出てくる英語がよく分からないからな。
子供の頃、アントワンは聖職者の学校にいたらしい(このへんの話の流れの中で冒頭の発言があったようにおもうが・・・)。成績優秀、そして作曲のテストではいつも一番。ところがあるとき、ちょっとした反抗心を表明しようと思ったらしく、そこで何をしたかというと、12音で作曲をしてみたと言う。にもかかわらず、この時の作品は2位をとった。しかし、アントワンはその結果に満足したそうだ。何というか、私みたいな劣等生とはえらい違いだ。音楽はだいたいいつも1(一位じゃなくて)で、その他も2か1だったから、反抗を表現するためには良い成績をとるしかない。私は何かに反抗するために悪い成績をとっていたのではなく、ナチュラルに勉学に接した結果として悪い成績をとっていたのである。なので、成績を上げるにはとてつもない努力を要しなければばらず、それは私みたいな怠け者には不可能なことであった。通信簿はいつも「アヒルの行列」(これは母親が言った言葉)の様相を呈していた。
そんなことはどうでもよいが、とにかくアントワンは私のようなタイプとは別種の素養を持っているといえるだろう。しかし、だからこそ彼には、私とは違う変態性を感じずにはいられない。アントワンは「私はクレイジーな人間だが、クレイジーにも色々あるんだよ」と言っていたが、それはよく分かる。最初にアントワンのコンサートを観た時に、この人は絶対におかしいと私は思った。『ウォレスとグルミット』のウォレスのようなとぼけた佇まいのオッサンが、関係者以外誰もいない会場で、ひとり淡々と朗読している。そこには静かな迫力があったのである。この時のコンサートは名曲(?)"calme etendue (spinoza)"の実演だったが、私は生涯このコンサートを忘れないだろう。
"calme etendue"には様々はヴァージョンがあるが、この時は声だけ、それに多くの無音。この無音時間がはんぱじゃない。一時間近い無音がいくつもある。私が観た時は5時間の抜粋だったが、どこかの美術館で180時間かけて全てを演奏したことがあって、この時の話が面白い。ちょうど無音の時間帯に老夫婦が入ってきて、椅子に座って身動ぎもしないアントワンを見て夫婦で会話を始めた。「これは人形よ、動かないから蝋人形みたいなもんじゃないかしら」「いや、今一瞬眉毛が動いたから、これは本物の人間だ」。その後、ふたりは顔をアントワンに近づけて確かめたが、はっきりした結論は得られなかったらしく、しばらくして、ぶつくさつぶやきながら、2人は部屋を出たらしい。2人が出て行った後、こらえきれずにアントワンは大笑いしたらしいが、う〜ん、なんか面白いことやってるな!これはうらやましかったな〜。
若い頃にある雑誌を通してジョン・ケージの存在を知ったとアントワンは言う。またその文字情報のみを通して、恐らくこんな感じだろうとケージの曲を勝手に考え、それを「ジョン・ケージ作曲」として演奏会で演奏したとも言っていた。その後、本物のケージの演奏会に接することができ、今までの音楽観を覆すほどの感銘を受けたとのことだが、同じようなことがアントワンの"calme etendue (spinoza)"によって私にもたらされたたのではないだろうか。それは邂逅と言ってもいい。まさに私の「アントニウスからの誘惑」であった。


ループライン・スギモト・シリーズ vol.2
2009年11月6日(金)
19:30開場 20:00開演
2000yen + drink order
24 petits préludes pour la guitare
作曲:Antoine Bueger
杉本拓(ギター)
千駄ヶ谷ループライン
http://loop-line.jp/