久しぶりに靴を買った。近所のジャンクショップで1000円。実は、ここ3ヶ月ほどは靴なしの生活だった。暑いので靴なんか履く気がしなかったからサンダルでよかったんだが、そろそろ対社会的にやばいかなと思ったまでの話である。まあ、ひとつだけあることはあって、ここぞという時は (どんな時かは想像にまかせます) それを着用していたんだが、これが、見た目が靴というだけで、かかとはとうに擦り切れ、底すら部分的にない、すなわち自分のかかとが直接地面に触れるという、まったく靴の役割を果たさない代物だった。実際、これを履いていてはバランスがとれない。ちょっと歩いただけで、膝やかかとが痛くなる。やはり靴は重要なんだなと。
私は身長の割に足が大きくて、最低でも26.5はないと入らない。それすら入らないことが多々ある。正確には、私の足は横幅があるので、前後は余っていても、横がいつもきつい。数ヶ月はいていると、大抵横が破裂する。そのくせ先はいつも2センチくらい余っているのが常である。私が末期症状の靴を履いているの見かねて、友人が靴をくれることがよくあるのだが、これがはいった試しがない。多少痛いけど大丈夫かなと思っていると、僅か一日で横が裂けたこともある。私がよくやる手は、靴には申し訳ないといつも思うのだけど、かかとのところを立てに切るという裏技である。しかしこれをやると、それはもう靴というよりサンダルである。それでも、私にとって靴というのは、履き心地云々より 、(世間に対する) 体裁であるので、それに気づかれなければ問題ない。その技を使わず、痛みを感じない靴となると滅多にない。いつだったか、28.5の靴を履いていたことがあったが、これはまた別の意味でサンダルであった。しかし、私の人生においてもっとも長持ちした靴がこれなのである。履いていて心地よい靴というのを私はいまだに知らない。もっとも、大金を払えばそういうものが手に入るのだろうが、そんなお金があったら、別のことに使いたい。
そういうわけなので、私の中で、靴は消耗品、それも短期消耗品である。とりあえず一月かニ月くらいもってくれればいい。サンダルの方が消耗品指数が低いと思っているくらいである (実際にそうで、いま愛用しているものは、毎日履いているにもかかわらず、五ヶ月の使用に耐えている (かかとはもうないが))。そんなもの (靴) に高いお金が払えますか?なので、靴は常にワンペア以上は持たない。私は、子供の頃は別として、靴屋で靴を買ったことがない。少なくとも自分の金では。ここ数年は近所のジャンク屋で買っているが、それまでは大概ゴミ捨て場で拾っていた。最近まったく靴は捨てられていないので、どうしようもないのである。多分、このご時世なので、プロにもっていかれているのだろう。いやな世の中になったもので、ゴミ漁りが商売として成立しにくくなっている以上、彼らに敬意を払おう。私は若干の手数料を払うことによって、ひょっとしたらタダで入手できたかもしれないものを、入手しているわけである。