THE RED CRAYOLAの"HAZEL"を中古屋で買って久しぶりに聴いたけど、本当に良いなぁ〜、これ。売らずにとっておこう。この、枯れまくった、テキトウな、アパッチ風味こそまさにロック。当時(15年くらいまえだっけ)このレコードに衝撃を受けて友人に薦めたが、「これはダメだ」(分かった上で否定する感じ)という人が何人かいた。何をもってして彼らにそう言わしめたのかずっと気になっていたが、いまだにそれはわからない。
以下、新年の挨拶にかえて。
A 明けましておめでとう!あっ、こういうの嫌いなんだっけ?
B いや別に。ただの挨拶だし。だけど、年が明けて感慨深いというのはもうあまりないな。正月とか盆とか何だとか、そういう実感というのが年々なくなってきている。暑いか寒いか、それしか感じなくなってきた。
A まあね。正月といったって多くの店は開いてるしね。お金もないだろうから、どこへもいかないんでしょ。
B つまり、いつもと変わらない日常だけが続いてるわけですよ。そこに区切りはない。
A これからの展望もないと。
B いや、それはあるよ。ただ正月だからというのはない。何んかやろうと思わなければ生けていけないでしょう。仕事でも勉強でも遊びでも何でもよいんだけど。酒が飲みたい、っていうのだってそのひとつだね。
A 飲みにはいっているの?
B いやお金がないから、たまにだね。週に一回くらいかな。近所のバーのどれかに行きますよ。
A 下北沢は最近どう?
B 正直、よくわからないね。自分に用があるのは、飲み屋、CD屋、古本屋、それにスーパーくらいだし。しかし、そのどれも、スーパーを除いては、どこもいつつぶれてもおかしくないようなムードが漂っているような気がしないでもない。
A 再開発に関しては何か意見ある?
B う〜ん、ちょっと言い方は悪いけど、再開発に反対するような人、そういう運動をする人っていうのは多少懐に余裕のある人か社会的な地位がある人なんじゃないかな。もう20年以上前から下北沢で飲み歩いているから、飲み友だちとか知り合いは多いけど、私の周りでそういうこと言う人はあまりいないんだよね。無関心なのか、どうとでもなりやがれなのか、ようするに生活が大変でそれどころではないような感じを受ける。中には再開発反対運動を快く思ってない人もいましたね。
A 君自身はどうなの?
B それは、再開発せずにすんだらそれにこしたことはないよ。でも、多分どうにもならないだろうね。それに、再開発しようがしまいが、私の好きなものは確実になくなるだろうね。下北沢に限らず、どこも似たような運命をむかえる気がする。だから、大切なのは、周りがどうなろうが平気なように心を鍛えることなんじゃないかな。
A でも下北沢はもったいないよね。
B そうね。でも、普段の自分の行動には下北沢によくないこともいっぱいあるからね〜。
A どういう意味?
B う〜ん、下北沢が面白い場所であることの理由のひとつに、小さな個人商店がいっぱいあることが挙げられるよね。でも、そういうところには行かないからね。そういう店は下北沢に住んでない人がいくもので、住んでいる人はいかないものかもしれない。でも小さな飲食店とかがつぶれると、どうもすみません、っていう気分になってしまうんですよ。
A だったら行けば良いんじゃない?
B ところがそうも行かないんだなぁ。ズバリ、お金の問題です。だいたい飯を食べようとなると、行くのは『松屋』、『王将』、『日高屋』、その他チェーン店になってしまう。またそこで知り合いによく遭遇するんだなあ。ラーメン屋かそば屋にはたまにいくけどね。厳密には下北沢じゃないけど、『現代ハイツ』なんて開店から知ってるし、深い関係があるけど、一回も食事したことないからね。ここ15年で下北沢のカフェで食事したのは、1回か2回かそんなもんだなあ。まあカフェそのものに行かないけど。チェーン店だったら、別にどこでもよいわけじゃない。実際にどの街にいってもよくいくのはチェーン店だし。
A つまり奴隷化されているわけだ。
B その通り。経済的には奴隷です。奴隷は再開発反対なんて大きな問題にはコミットできないようになってるんだよ。前にウィーンにいたときに、知り合いの知り合いの共同住居みたいなところに泊まってたんだけど、そこでカップ麺食べてたら、「君は、そんなもの食べて、資本主義の奴隷か?」みたいなことを言われたんだけど、それ言った人達はなんかの運動をたしかやっていた。こっちだって、別に食べたくて食っているわけじゃない。たんに金がないだけで、やむをえず食べている。そういう人がけっこういるということをわかってほしい。ヨーロッパで、音楽家とかスペース経営者がよく運動するのは、彼らに、たとえ即興とか実験音楽とかやっている人たちでさえ、あるていどの地位が与えられてるからじゃないかなあ。それを守るための運動なわけだ。こっちだったら、普通じゃない音楽やっている人は、別に仕事を持ってない限り、ホームレス予備軍だから、そんな余裕はないってことになる。最優先に守りたいのは自分の生命だから。
A なるほど。そこで安い餌にむらがってしまうわけだ。
B 小さい飲み屋の亭主なんてのも似たようなもんだろうね。社会的な成功とは無縁の商売だからね。仮に再開発がなくなっても、商売の安定は保証されない。立ち退きで十分なお金もらえるんだったら、大歓迎だという店もあると思う。恐らくそんなうまい話はそうそうないだろうけど。どうあれ、うまくいかないような世の風潮がある。にもかかわらず、ひっそりと、しかし、どっこい生きているわけだ。ピョン吉なんてシャツにへばりついても楽しく生きているわけじゃない。下北沢のちいさなお店ってそんな感じがある。その根性こそ見習わないと。私にとって下北沢の文化は飲み屋だから、特に友だちのやっているところには、行きたいし、行かなければいけないような気もするけど、お金ないからね。ごめんなさい、そうしょっちゅうは行けません。それもまた仕組まれた運命なのかもしれない。こういう店の大半がつぶれても、いたしかたないこととしてあきらめるしかないだろうな。
A なす術なしか。しかし、何か方法はないのかな。
B やはり心を鍛えるしかない。あと、奴隷は意外とプライドが高いから、ささいなことはどうでも良いのよ。常により大切な何かがある。「肉を切らせて骨を断つ」、ちょっと意味が飛躍しているけど、そんな感じかな。しかし、それも理想にすぎないけど。最近のはどうかしらないけど、昔のテレビドラマでは、主人公が破産して敵役にお金を借りにいくと、その敵役が「じゃあ、俺の靴をなめろ。なめたら貸してやる」みたいなこというシーンがよくあった。主人公は「やっぱり俺には出来ない」とかなんとか言って去っていくんだけど、これ観てて、なんでそれくらいのことが出来ないの、私だったら、そんなことでお金もらえるなら、仕事にしたっていいよ、って思ったな。あと、飲み屋でよく話題になるのが、いくらくれたらゴキブリを食うか、という話。さすがに生は無理だから焼くなりフライにするとかなると、だいたい10万くらいなんだよね、平均をとると。
A バカなこと話してるな〜
B 問題はそんな旨いオファーは絶対に来ないという事。靴なめたりゴキブリ食ったりが平気な人間に、まあ平気ではないだろうけど、そういうことやらせたって、お金払う方は面白くもなんともないわけだ。起死回生のチャンスはあまりないと思ったほうがいい。せいぜい、さして美味しくない餌を安い値段で食べる権利が与えられているくらいだね。でも、そんなことはたいした事じゃない。とにかく生き延びないと。