楽譜

ここ何日か、海外での自分の評判が気になって検索して色々見てたんですが、何というか恐ろしく不評ですね。こりゃCDも売れんし、ライブの誘いもないわけだ。もちろん気に入った人もいるでしょうが、そういう人はあまり書かなくて(多少はあった)、多くは憤慨している人が書いているから、かなりきついものがありました。知ってる人も結構いるんだよなぁ。それなりに落ち込みましたが、「勝手にやってください、こちらも勝手にやるんで」と思い直してあっという間に回復しました。
ところで、音楽批評というと大概は、CD聴いたり、ライブ観たりして、それへの批評ということになるんだけど、他にも対象となるものがあります。ひとつは楽譜。楽譜もメディアだから、それを演奏してみる、ということもあっていいでしょう。それについて何かを語ることができるはずです。ところがそういうのはあまりない。楽器が出来なくても、五線譜が理解できなくても、そんなこと関係なく演奏できる曲は”実験音楽”の中にたくさんあって、例えばマイケル・ピサロの曲で、ただ窓を開けてそれを閉める(これを2人でやるんですが)、という曲がある。なんだくだらない、と思うでしょう。まぁ確かにアイデアはくだらないんですが、ところがこれを実際にやってみて私は衝撃を受けました。この曲は面白いなと思いましたよ。実際に演奏してみるのはCDやライブで音楽を聴くことはまた違う音楽体験ができます。普段とは別の角度から音楽を批評する良い契機になると思いますけどね。アイデアを吟味するのではなく、実際に演奏してみる。ここがポイントです。もちろん批評のためではなく純粋にその音楽を楽しんだってかまわないわけです。CDやライブと同じようにひとつの音楽メディアとして楽譜に接することがもっとあってもいいんではないでしょうか?音楽家も批評家もただ音楽を聴く人も、もっと広い視点で音楽の可能性を考えると面白くなるんじゃないかな。
http://www.textscores.co.uk/
マンフレッドに教えてもらったサイトです。言葉が楽譜になっている音楽。こういうのをだまされたと思って演奏してみるのもいいんじゃないですかね。「古いなあ」という人もいるでしょう。じゃあ、「新しい」って何でしょうね。それは、一つの基準の中での「新しさ」や「古さ」であって(「多様性」も同じ)、違う基準が見つけられるかもしれません。言葉と音楽は違う、とはよく言われるけど、確かに本を読むのと音楽を聴くのは体験としては違うとは思うけど、それでも私たちは言葉で音楽を説明したりするじゃないですか。その時に、話すほうもそれを聞く方も、頭の中には何かしらの音楽が浮かぶと思うのだけど。それらが浮かぶということも”音楽”を成立させてる重要な要素じゃないですか。それは”音楽”から切り離せないと思いますね。どこからどこまでが音楽体験であるのかは分からないんですよ。なので、そのあたりに探りを入れる、ということもしてもいいんじゃないですかと。