がんばれベアーズ

好きなんだよね、『がんばれベアーズ』。なんというか非常に乾いた演出で、こういう映画はありそうであまりない。少なくとも今後のアメリカ映画からはこの手の味は望めそうにない。ときたまむしょうに観たくなることがあって、今回も発作的にレンタル屋にかけこんでしまった。
やっぱり主人公のバターメイカー(ベアーズの監督)がいいなあ。アル中のプール清掃人。缶ビールにウイスキー流し込んで飲んでるわ、チームの子供らにプール清掃の仕事を手伝わせるしで、完全なろくでなし。子供の頃はこういううだつの上がらないオッサンに憧れたものです。オープン・カーの後ろにはプール清掃の道具が積んであって、エンゲルバーグに割られたフロント・ガラスはひび割れたまんま。なんてオシャレなんだろう。今観ても胸がときめく。私にとってアメリカの(白人的)ダンディズムの代表は、このバターメイカーとコロンボとJ・J・ケールになってしまう。
大人もダメなら子供もろくなやつがいない。全編を通して、このダメなやつらがお互いに罵詈雑言を飛ばしているシーンが多い。大人も子供もない。今の映画だったら、子供達は妙に利己的だったり計算高く、大人は物分りがよかったりして、違いをある程度明確にした上で要所要所にヒューマンな交流を描くんだけど、『ベアーズ』にはそういうのが少ない。ろくでなしのハキダメ感のほうがが勝っている。
一体この映画は何が言いたいんだろうか。努力すれば報われる、とかそういうのでは絶対ないだろう。子供は純粋で大人は面倒くさい、でもない。チームワークは大切だ、というのも少し違う気がする。だいたいチームメイト同士がたいして仲良くないし。かつての恋人の娘のアマンダ(ベアーズのピッチャー)に母親との仲を取り戻そうと画策されたのに対して、怒ったバターメイカーが「よけいなことをするな。おれは酒飲んでタバコふかして、それなりに幸福なんだ」と言う場面があるけど(これが一番ヒューマンなシーンなんだが)、どうもこの発言が気になる。人生にはどうにもならないことがあり、勝ち負けも、それはあるだろうが、適当に認識としての幸福をひとりひとりが獲得できれば、それでいいんんじゃないか、そう思わせてしまった。
最後に、喧嘩っ早いタナーが優勝した相手チームに「謝ることなんてない。お前らは実力で勝ったんだ」と言って、準優勝のトロフィーを投げつけるんだけど、この心意気は買いでしょう。