実験音楽スクール最終回

今月の7日と14日は『水曜日のハイツ』を休みます。

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きっかけはささいなことだった。バイトの現場がなくなって、やることのない日曜日がよけいにひとつできたこと。それと、その分の収入の穴埋めをなんとかしなければと思ったこと。それで、実験音楽の教室でもやれば、それなりに有意義だろうし、こちらにもうまくいけば小銭が舞い込むんじゃないか。ーーこれが今回の実験音楽スクールを始めた動機である。
始めから、コンサートの数を増やそうとは考えなかった。来るのだか来ないのだかわからないお客さんをーーまあ大抵は来ないのだがーーあてにしてはいけない。もっと安定した収入を確保するには学校しかあるまい。それは(半分は)冗談だが、私は即興演奏とか実験音楽のコンサートのあり方に懐疑的で、自分でもあまりやらなくなってきた。特にインプロ界において顕著なのであるが、それは一種のスター・システムによって支えられていないだろうか? 本来は抵抗すべき世間一般の価値観がそのまま踏襲されていて、違いは扱うネタがマイナーであることだけである。もちろん、我々は稼がなければいけないから、ある程度は経済モデルもそれに合わせるということは理解できる。それに、仮にもプロ・ミュージシャンであるなら、どんな手を使ってでもお金を稼がなければいけない。それはもちろんわかる。その通りだ。お金がもらえるんだったら私だってコンサートがしたい。だが、悲しいことに、ほとんどのミュージシャンはそれでお金を得てない。儲かるのはほんの一握りの有名人だけである。それはどこの世界でも同じこと。
ではなぜやるのか? こういうことを言うと怒られるかもしれないが、演奏するという行為には中毒性があり、度を超えると、それ自体が目的化してしまう。だが、特に即興演奏においては、実際に音を発することによって音楽を立ち上げていくのだから、演奏行為それ自体と音楽を作ることの間に大きな差はないのかもしれない。そしてそこには喜びもあろう。これもわかる。
先日、ある展覧会で私は一枚の絵に惹きつけられた。60名ほどが作品を発表しているその展覧会の中で、明らかにその作品だけが異質であった。世界に対するひとつの純粋な祈りのようなものがその絵に感じられて、私の幼心が共鳴したのである。主催者にその絵について尋ねると、作者は本当に子供であった。私はてっきり大人が描いたものだと思っていた。いや、そう思いたかっただけかもしれないが。
大人とは子供が堕落したものであり、その逆はない。しかし、そもそも子供の純粋性の中に堕落の種が含まれていることも事実である。彼らは大人が作った社会に生まれてくるのだから。けれどすべてが堕落するわけでもないのではないか? 要はバランスである。ひとつの純粋性ーー幼心と言っても良いーーを大人のやり方で社会に提供すること、これこそが芸術家に待たれるものではないだろうか。
子供の頃、私は音楽になんの興味も関心もなかった。自分に関係があったのは、テレビの主題歌くらいであるが、これもそのオープニング映像のほうに惹かれた。両親は音楽好きで、母親はピアノを、父親はリコーダーを演奏していて、他にレコードなんかもよくかけていたはずであるが、不思議なことに音楽に関する記憶はほとんどなにもない。テレビの歌番組も私には関わりのない世界であった。私は絵を描くのが好きだったから、世界をビジュアル中心に捉えていたのだろう。言うまでもないことだが、音楽の成績は常に最低であった(もっとも、他も似たようなものだが)。音楽に関する光景で覚えているのは、中学生の時のギターのテストで、先生に「もういい」と言われるまでギターを抱えて座っていたことである。その間、私は一切音を出していない。知らず知らずのうちに私は"4分33秒"を演奏していたことになる。
始めてギターを手にしたのは15才、高校に入学した時である。だが、一般の音楽志望者とは違い、何か音楽に感動したとか、そういうのを自分でも演奏してみたいとか、そんなことが動機になったわけではない。私はオブジェとしてのギターの魅力に気がついたのである。これをなんとか入手して手元に置きたい、これが私が音楽を始めた動機であるーー今だにその気持ちは失われてはいない。もっともいくらオブジェとは言え、飾って眺めているだけでは埒が明かない。その頃私が聴いていた、そしてそのコピーを試みた音楽は、最初は日本のフォークソング、しばらくしてアメリカやイギリスのロックであるが、もともと音楽そのものにあまり興味がないので、私のギター・ライフもだんだんと行き詰まってきた(しかし、その頃聴いた音楽は今でも好きで、たまに聴くのであるがーー特にニール・ヤング)。そこには、ギターを弾いている自分が好きであるという自己愛があっただけである。
私の通っていた高校は進学率10パーセント(専門学校および放送大学含む)程度のアパッチ校で、3年にもなると、授業中に麻雀をやってても先生によってはお咎めなしという、荒れた光景が日常化していた。この時の麻雀(および酒)仲間にT君という、当時でLP500枚以上を所有するという音楽好きがいて、その彼がある日イタリアやドイツのロックを教えてくれた。所謂プログレである。これは今まで聴いてきたものとは違う、なんか面白いじゃないか? 実際これは大きなステップだった。そこから"フリー・ミュージック"に行き着くまでにそれほど時間はかからなかった。しばらくして私は自分の音楽のスタート地点を探し当てたのである。
その後のことは詳しく書かない。しかしながら、人生というのはこれがあったから、その後はこうなる、というような単純なものではない。いきなり話は変わるが、私が生まれてきた時代はーーそのだいぶ前から今に至る長い期間までを含めてーー、音楽の世界にあっては演奏家の時代であると思う。求められているのは個性なのである。これはロックでもジャズでもクラシックでもなんでもそうである。認められるにはまず個性的でなければならない。そして私もそれを目指した。個性的な演奏家(あるいは音楽家)になろうとした。だが、待てよ、あるものが個性的に聞こえる時、それは同じジャンル上の他の存在との比較においてそうなるのではないか? つまり、それをジャッジする際の基盤は決して揺るがないではないか。もちろんこれは演奏家に限った話ではない。現代音楽のコンテストなんていうのもまさにそれである。明らかにひとつのコミュニティは「個性」を必要としている。それを取り込むことによって、自らを生き長らえさせなければならないからだ。長い間音楽に関わってきて、こういうことを考えるようになった。私は演奏することも好きだが、それ以上に音楽について考えることの方が好きである。それは私の個性であると言えるかもしれない。でも私以外の誰かが同じようなことを考え、それを自らの人生において実践していくことも可能でなければならない。ひとりの人間が考えたこと、実践したことはすべての人間に起こりうることである。ひとりの個人に起こりうる何か、そういう意味での個性であるならば、私はこれを大いに尊重したい。
ところで、「作曲」という名目の元で私がやりたいことはなんであるのか? 実験音楽と称して何をやっているのか? それは、ある音響の設計図を作って、それが演奏されれば万々歳、というようなことではない。上に書いた「音楽について考えること」、これと作曲行為は隣り合わせである。音楽の根源、というと大げさかもしれないが、そこにいきなりアクセスして、そこから音楽を立ち上げようという行為なのである。結果として、こんなの誰でも出来るじゃない、と言われるかもしれない。たぶん言われるな。でもそれでいいい。むしろ誰でも出来うる(理解できる)ことのほうが私にとっては価値がある。それは先に言ったとおり。その上で、それは誰でも思いつくことではないと言いたい。
今回の実験音楽スクールで、私は受講生のみんなに毎回作曲作品を作ってくるようにお願いした。そうすれば、こちらもテキトウなことをしゃべらずに済むし、またさぼれる、という堕落した大人の悪知恵である。しかし、時には悪知恵が功を奏することもある(もっともそれは私に対してであるが)。思ったとおり、多くの作品は、私が考えたこともないようなアイデアから生まれており、また様々なことを考えるきっかけを与えてくれた。もちろん、表現方法が洗練されてない作品(この場合は譜面を指す)もある。しかし、ここが難しいところで、それをよりわかりやすく書く/表現するやり方を教えたり推奨したりすることが果たして正しいことなのなのだろうか?一般の専門教育機関はそれでいいのだろうが、私とっては悩みどころである。とりあえずの結論として、一般の認知度は低いとはいえ、「実験音楽」がひとつのジャンルを形成しつつある今、それは必要なことかもしれないと思うことにした。要はバランスなのである。「実験音楽」においては、他のどのジャンルよりもプロとアマの差が希薄であり、どちらの立場に身をおいても面白い作品は作れる。加えて、CDを作ったり、コンサートをやったり、という制度に依存することなくその音楽を成立させることが可能だ。私自身は、コンサートもやるし、CDもたくさんリリースしている。うまくいけば、お金も入る。だが、そのことによって私は音楽家なのではない。音楽を愛し、それについて考え、必要があればそれを実践する。これを続けることによって音楽家になるのでなければならない。

8/11の実験音楽スクール最終回は受講生のみなさんの作品をコンサート(に近い)形式で演奏します。私も曲を書きます。今まで見学者はわずか一名なので、最後くらいはちょっと人が来て欲しい。料金は1500円 + ドリンクで、場所は大崎l-e。1時から。よろしくお願いします。