「ランダム」について 1

実験音楽の世界で、最近は特に、ランダムな音とかランダムな音の配置がどうのこうのということがよく言われている。何年か前までは、私のやっているような音楽に対して、よくそのような形容がなされていた。では一体ランダムな音というのはどんなものなんだろうか?そこに規則性が見出しがたいような音の並びとか配置を言っているのだろうか?

たぶんそうであろう。だが待てよと。もしサイコロを10回振って、その目が全部1だったら、それはランダムな数字の配列だろうか?これは作曲上のメソッドとしても使えるのでそう言っているのであるが、例えば、6拍子で10小節の音楽を作ろうと思い、各小節のどこかの拍に一回音が鳴るようにしようとして、サイコロを投げたとしよう。最初に投げるサイコロの目は1小節目の拍、次は2小節目の拍を決定する。普通は、数字は適度にばらけるだろうから、ランダムな配置がチャンス・オペレーションによって成し遂げられる、そう思ってサイコロに頼るわけである。ところが、もし全ての数字が1(でも3でも4でもなんでもいいが)であったら、そこには規則性が生じる。ほとんどありえないくらいの極めて低い確率であるが、そういうことは起こりうる。そうなってしまっては、ランダムを表現しようとしたにも関わらず、結果はそのようなものにはならなくなってしまう。

1234512345、6543212345、112234455、1111122222、1212121212、こういう並びは何故かランダムに見えない。だが、1453662152、1145331613、236145521、こういうのはランダムに見える。しかし、どのような数字のならびも同じ確率で生じる。

ある数字の並びがランダムに見える配置を見せたとしよう。例えば、2653589793、でもなんでもよいがランダムに見える数字だったとする。しかし、これは我々にはそう見えるだけであって、これがある人にとって重要な規則を表している、ということがないとも限らない。要はそこに意味がみつけられるか否かということではないだろうか?ちなみに今上に並べた数字は円周率の小数点以下のある一部分である。私は夢想するのだが、円周率の数字の並びのずっと彼方、遥か先には、123456789とか、000000000とか、そういう数字が並んだ部分があるのではないだろうか?(そういうのはいくつかはもう見つかったですかね?)

昔、ウィーンのギタリスト、ブルクハルト・シュタングルとツアーをした時、確かベルリンの空港に到着したときだったと思うが、飛行機を降りてシャトル・バスに乗ったときに目の前の女性がブルクハルトの書いた本をカバンの上にのせていたことことがあった。見ず知らずの人である。凄い偶然である(よけいなことを言えば、ブルクハルトの部屋かまたは彼の友人の部屋でのことをのぞけば、その本を見たことがあるのはその時ただ一度きりである)!しかし、それが凄い偶然に思えるのは、そこに特別な意味があるからである。あらゆる場面で多くの偶然的出来事が起こっているのだが、それらにはほとんど意味を見出しえないということで、それは「偶然」と認識されていないだけである。

よく「チャンス・オペレーションを使って作曲しているのですか?」と訊かれる。確かに、そういう作品は多々あり、実際そうなのだが、全てを偶然に委ねているわけではない。というか、果たして、全てが偶然の結果生じるような音の並びを作ることなど可能なのだろうか?

私の作品『26』では、音と無音の比率がだいたい1:2になるようにした。その上で実際の数値をサイコロで決めているわけである。この比率はチャンス・オペレーションで決めたわけではない(もちろんそうすることもできるが)。まず全体がどのような音の密度になるかは最初に設計する。この曲の作曲で使用したサイコロはポーカー用のもので、1、9、10、11、12、13の数字からなる。これをふたつ使う。最小は2、最大は26である(曲名はここに由来する)。有音か無音かをチャンスにかけ、つぎに音の持続時間をサイコロをふって決定するわけである。その中で、2秒の音(ないし無音)の持続は起り得る、それは他の持続時間に対して短いのでなんらかの効果があるのではないか、ということも設計にはいっているのである。ここまで決まっていれば、実際にサイコロをなげる必要はない。一時期私はチャンスをやめたと公言していたが、それはただサイコロを投げるのをやめていたにすぎない。起り得ることを、適当な按配で、自分で決定していただけである。ケージは「この目が出ますように」と思ってた時があったらしいが、私の曲では、ある目が出る可能性があるなら、その目にしてもいいのである。それでなんら問題は生じない。実際にサイコロをふろうが、こちらの意思で数字を決めようが、大した違いは出ない。

ところが、そうでないときもある。『弦楽四重奏2番』の時は、私は常にどれかの楽器から音が出るようにしたいと思っていた。あるときはよっつすべて、あるときはふたつかみっつ、あるいはひとつ、しかしどの楽器もなってない無音部があってはいけない--そうなるようにしたかった。そこで、これで恐らくうまくいくだろう、という設計をして(こまかいパラメーターの設定は割愛する)、サイコロをふった。大方は予想通りだったが、一箇所だけどの楽器も音がないと言う部分ができてしまった。これでは私の目論見に反した結果になるので、私は躊躇なくその部分を改ざんした。

この曲での各楽器の音と無音の比率は9:1くらいだろうか。「ランダムに音がなる音楽」があるように「ランダムに音が止む音楽」もあるのか?私の曲の場合、ある程度の全体像は設計されている。しかし、それがランダムなものに聴こえることもあるだろう。というよりそうなんじゃないか。だがそれはどうでもいい。

音と無音の比率を1:2にしたり9:1にしたりしたのは私が決めたことである。しかしこれもチャンス・オペレーションで決定してもよい。だけど、どのように? それは1:25にも1:1200000000にもなる。あつかう数の範囲もチャンスで決めるのか?それはできないことではない。しかし、その操作のどこかでチャンス・オペレーションでないものが紛れ込むことになる。それはまあよしとして、とりあえず数を10000までにしぼり、例えば1から10000の数字を書いた紙を箱に入れ、それを抜き取って音と無音の比率を決めたとしよう。最初に引く数が音、次のが無音。その結果が1と2、つまり1:2だったとする。その結果を受け入れたとして、その作曲家は一体その曲で何を言いたいのだろうか?音と無音の比率が1:2の音楽が作りたいのなら、はじめからそうすればいいわけである。

こうして最初に戻る。