ギンナン師

たまには日記らしいものを書こう。
この前、「水曜日のハイツ」のつまみに良いんじゃないかと思ってギンナンを拾いにいった。原価只だし。いくつかあるスポットの内のふたつに早速赴いたんだが、どちらの現場にも同業者がいました。平日の昼間からギンナンを漁っている人間なんてろくなもんじゃありません。しかも雨降ってるんですよ。片手にコンビニ袋を持ち、下を見ながらうろつきまわっている姿は、もちろん私も含めてですが、どう考えても「ダンディズム」とは真逆だ。こういう実際的行動は、当たり前と言えばそうだが、あさましさの表れですからね。他人のフリ見てわがフリ直せ。いや、直せないんだけど、せめてコンビニ袋をもう少し洒落たものにするとか、特殊な道具で拾うとか、しかし実際の動機が本当にあさましいものなので、やはりどんな取り繕いも意味はないか。そういう--人によってはまったくどうでもいい--ことを悩んでいたら、近所の生活雑貨屋でギンナン割り機を売ってることを思い出した。せめてこういうことにプロ根性を発揮しようと思い、買いましたよ、大枚1500円をはたいて。そんな金があるんなら、靴とか服とかそういうものを買ったほうがいいんじゃないかと我ながら思うのだが、そういうものを買っても面白くないんだよね。夢がない。それこそ実際家になってしまう。それにしても、このギンナン割り機、汎用性は皆無。ギンナンを割るしか用途がない。それだけのためにデザインされている。そういうことなので、ちょっとギンナンを極めようと思います。といっても、どうやって極めるんでしょうか?ギンナンは年中あるわけじゃないから、研究期間は限られている。食べ方のヴァリエーションがそんなにあるとも思えんし。その中でつまみに適したものというと、もうほとんど数種類しかないんじゃないだろうか。

あと、今『現代ハイツ』で10周年の小品展をやっているのですが、作品は出品していませんが、袴田竜太郎さんの映像作品“nichi-jou”に出演してます。てっきりカジュアルな撮影だと思って気楽に引き受けたんですが、現場に行ってみると、撮影ライトもあり、スタッフもあり、かなりプロな現場でした。通行人の人が「あ〜、撮影やってる」とか言うのを聞くのも恥ずかしかったですね。いつもいってるコンビニの前だし。完成品は、流石撮影監督の仕事だけあり、色が美しかった。ヘルツォークの映画が脳裏をよぎった。わが姿はチャップリンに見えましたけど。