日記

室内楽”も“さりとて”もとても楽しかったです。“さりとて”の本番前に萠さんと雑談していたら、入ってきた宇波君に「もう本番はじまってるんですか?」と言われてしまった。“室内楽カラオケ”における私の曲の山形君と萠さんの会話とたいして変わらないような会話をしていましたからね。最近はパフォーマンス・インフレーションが高まっているような気がして、それはそれで非常に面白いと思うのですが、この日の“さりとて”は普通に演奏しました。ファースト・セットは私の中ではプログレです。切れ目なしの全一曲(なんですが4曲入ってます)。セカンド・セットは萠さんのアイデアが中心でした。私の歌うところがいくつかあったんですが、人前で歌うのになれてないので、それだけではないのでしょうが、緊張して失敗した気がします。特にハーモニーはやはり難しい。
来ていただいたお客様と、こういう人気のない音楽に理解のあるループラインに感謝します。コンサートが終わってからの雑談がまた楽しいんですよ。



昨日本屋でジャズについての批評が集められた本を立ち読みしていたらオフサイトのことが書いてあった(気になってまた今日も立ち読みしに行った)。音響とオフサイトについて論じている。ついに、そのあたりのことについても歴史的文脈から書かれるようになったか。しかも翻訳されて活字になっている。著者はアメリカ人だったかな。それほど悪いものではなかったし、ところどころ感心するところもあったが、全体的には、多くの人が音響とオフサイトについて語っていることと同じような内容だった。つまり、オフサイトの特異な環境、そこから生まれたとされる日本独自の即興形態、ウィーンやベルリンの即興シーンとの親和性等を中心に話が展開されている。
前から思っていたのだが、オフサイトがあったから弱音の即興が生まれたという説があるが、私はそれはないと思う。住宅事情で大きな音が出せないので、小さな音で演奏せざるをえなくなり、そこから新しい音楽、そして新しい聴取のあり方が生まれたと。そんなことはありません。ただ大きな音が出せないから小さな音で演奏していた、それで音楽的に何の不都合も生じなかった、それだけだと思う。
それに、小さな音であっても、空間によってそれは小さな音でなくなる。私はおもにエレキ・ギターを弾いていたから、アンプのセッティングは重要だった。ヴォリュームを上げれば、音色まで変わってしまう。もしPAを使わないのであれば、または大きなアンプが借りられないのであれば、大きな会場でもそのままのセッティングで通すしかない。それだと音が小さくなって聞こえにくくなるが、オフサイトではなんの問題もなかった、そういうことである。ステレオのヴォリュームを環境に応じて上げ下げしているのと同じ様なことだ。しかたなく小さなアンプで大きめの会場(オフサイトと比較しての話であるが)でやっていた時の方がむしろ音は相対的に小さかったのである。
オフサイトのような空間では小さな音もはっきり聞こえてしまう。むしろ、聞こえないような音を出す方が難しかった。私は自分の小さなアンプを持っていろんなところでライブをしていたが、オフサイトでは自分の音を大きいと感じたくらいである。自分の音だけでなく、例えばキャプテンのアコギなんかもよりはっきりと聞こえた。ちょうどいいサイズだったのである。ただ、管楽器や打楽器などはそうはいかないだろう。もともとが大きな音の楽器なので、小さな音で奏することで表現が制限されてしまう。しかし、エレキギターももともとは大きな音を出すために開発された楽器である。ただ、アンプに通すということをを音色の問題として考えてみるならば、小さな音でしか出せない音色もあるので、同じ様な制約があるとも言えるだろう。小さな音でしか出せないような音もある、ということに意識的になった管楽器奏者と同じである。あるアコースティックの弦楽器奏者が、少し大きめ会場でのコンサートの際に、「PAがあるほうが小さな音を出しやすい」と私に言ったことがあるが、これにはうなずいてしまった。オフサイトでの演奏では、小さな音でしか奏せられない音色でも、その音を増幅する必要はなかった。PAにたよらなければ表現が難しかったことを、それなしで出来る環境が用意されたということである。弱音なんてとんでもない。音は聞こえなければならなかった。
オフサイトから離れて大きな会場で演奏する際でも同じヴォリュームで通す、というのなら、それはまさしく弱音の演奏である。ところが、こういう演奏を聴いたという経験はあまりない。私にしてからが、大きい会場では可能なら大きなアンプで演奏したかったくちである(後にそうではなくなったが)。
オフサイトが出現してから生まれたと言われるような音楽は間違いなくそれ以前からあった。たんに小さい音での演奏、というのも私は沢山聴いていた。オフサイトよりずっと大きな会場で、とてつもなく小さな音でやる即興というのを、ヨーロッパやシカゴで何度も経験している。こちらのほうがはるかに実験的だったが、何故かこういう演奏はは2000年代に入ってから、“音響”や“エレクトロ・アコースティック”の台頭と共に、あまり姿をみなくなった。というより、それやっていた演奏家が“エレクトロ・アコースティック”に鞍替えしたと言った方がよい。それにともない音量も増大する傾向にあったと思う。エレクトロニクスの比重も増えた。
オフサイトが登場した頃というのは、ほんとうに小さな音の即興が減り始めた時期でもある。ウィーンの即興シーンは、私がそれに関わりだした時すでに大きな音量でのものだったし、ベルリンでも音量は増加する傾向にあった。考えてみて欲しい。オフサイトで演奏するミュージャンが彼らと共演することが出来たのは、“小さな音で演奏する”ということが共通の関心事ではなかったからである。どちらにとっても、それは2次的な問題にすぎなかった。
“音響”の特徴のひとつとされている弱音というのは、要するに特定の音色のことであって、それはヴォリュームが小さいことではなかった。大きな会場でも、音色を変えずに増幅できるような環境であれば、それで問題ない、またはそのほうが良い、という演奏家も多かった思う。我々は会場に応じて、大きなアンプを使うなり、PAを使うなりしてしていたが、そのことによって音楽性が大きく変わるようなことはあまりなかった。もちろん感じ方は大きく変わってくるだろう。しかし、これもどうでもよいことなのである。そもそも「オフサイト系即興」というのが怪しい。中村さんの音楽は、むしろ大きな会場で(しかも少し氏ダーティーな環境の中で)、その本領を発揮していた。中村さんはオフサイト系の代表ミュージシャンのようにかかれることが多いが(なにしろ私やキャップとはじめてオフサイトで企画を始めたひとりであるので)、彼の音楽の本質と特徴は、人がかってにそれらをオフサイトとこじつけているだけで、実はオフサイト(とその環境から生まれたとされるもの)とはあまり関係ないと私は思っている。我々はみなそうであった。『魔女の宅急便』によると、魔女は“血”で空を飛ぶらしいが、音楽家も似たようなものではなかろうか?我々ひとりひとりは自らの業にしたがって音楽をやっているのではないか。もちろん時代とは無関係に生きられないし、影響も受ける。即興の世界にある潮流があったことは確かであるし、我々はそこに巻き込まれることを厭わなかった。しかし、立地条件により大きな音が出せないような環境から何か新しい音楽が生まれたとはどうしても考えられない。我々の即興が欧米のそれと根本において違うところがあったとしても(これについては別に書く)、その違いはオフサイトの登場によって際立ったわけでもない。
しかし、そうは言っても、私にとっては、最初のうちは、音色を変えずにヴォリュームを上げることが出来ない状況が多かったので、オフサイトで演奏することは好都合だったとは言える。最もオフサイトにフィットしていたのは実は私なのではなかったのかとも思う。録音も数多くした。私がもっとも仕事をした場所はは2000年から2002年くらいまでのオフサイトであった。ただ、ここで自分の音楽が大きく発展したとは考えていない。新しい何かは生まれなかった。このことも別に場所のせいではない。この頃やっていた音楽は私にとってはあまり面白いものではなかったのだ。しかし、当時はそのことに気がつかなかったのである。
そのうちに本当に小さな音でやりたくなってきたのだが、それはオフサイトでは難しいように思えてきた。もう少し広い会場を必要とするような音楽の可能性を考え始めたのである(もちろん、それだけがやりたいことではなかったが)。やがて即興もしなくなり、いつからかオフサイトに出演することもなくなってしまった。確かにオフサイトの存在は私をより小さな音に向かわせたかもしれない。そこで表現できないようなこと結果的に考えさせたのだから。そういう意味では、オフサイトは極少数の弱音音楽を生むきっかけにはなっている。しかし、私がその後に取り組んだようなことは、オフサイト的即興を代表するようなサンプルにはなりえまい。似たものを挙げろと言われれば、それは、ヨーロッパやシカゴで観た(その頃にはほぼ死滅していた)本当に小さな音での即興や、あるいはヴァンデルヴァイザーの音楽に近かった。オフサイトその場所では決して小さな音での演奏はなかった、それは不可能であった、と私は考える。巷で言われているほどオフサイトでの音量は小さくはなかったのである。(続く)