土曜日、国立能楽堂能楽BASARAの”道成寺”を観に行った。能を体験するのは人生初である。それまでは、CDやラジオでその演奏を聞いたのと、本で解説を読んだのが、私が能について知っている全てであった。すなわち耳学問を出なかったわけである。果たして初めての能はどうだったのか?それは良くも悪くもちょっとした衝撃だった、と答えよう。以下はその感想である(ただし私が否定的な感想をもった要因にはあまり言及しない)。
もちろん他の演目は知らないから、その日の”道成寺”に限っての感想であるが、まず思ったのは、ずいぶんとエンターテイメントなんだなということ。それとストーリーがくだらない。私の苦手とする怨念ものである。
しかし、こういうどうでも良い話をああいった抽象表現に高めるというのは非常に興味深い。特に、シテ演じるところの蛇女が鐘の中に閉じこもるところがそうである。その導入部(小鼓と舞の掛け合い?)はやたら長く、ここだけで30分はあったんじゃないかと思うが、このしつこさは特筆もので、おもわず身を乗り出してしまったほどである。やはりここがハイライトであろう。けれども、決して分かりやすいわけではないし、派手さも少ない。難解であった、と言うのは正しくないかもしれないが、この場面ははっきりとエンターテイメントを大きく超えていた。小鼓が鳴るとシテのつま先が少し上がったりするのだが、これがどうも小鼓の音といつも少しずれている。わざとずらしているのか、たまたまそうなるのか、それとも実はそんな事はどうでも良いのか、それは分からない。しかしこれが----何回もやるものだから----気になってしょうがなかった。背中にむずがゆさが残る感じである。
むずがゆいと言えば、小鼓の音色もそうである。他のふたつ、太鼓と大鼓がそれぞれ「コン」「スカン」といった乾いた音色なのに対して、「ポン」「ポコ」といった湿った音なのである。このとぼけた音色のせいで、シテとの緊張感あふれる掛け合いのところですら、時に、何か肩すかしをくらったような気分にさせる。それは、私には「笑い」であった。またシテの舞も、それが静止しているときは、何かユーモアがそこに漂っているように感じられる。一方、シテの激しい舞や、大鼓の音色は緊張感を演出する。しかしながら、これらの組み合わせの妙が複雑の極みに達していて、決して一筋縄では行かない。小鼓と大鼓、それぞれのダイナミクスが激しく変化し、シンクロしたりしなかったり、またシテも舞ったり止まったり謡を始めたりで、全体的には緊張一辺倒または弛緩一辺倒にはあまりならない。忙しく変化するというより、どこをとっても様々な表情が同時にあるような感じだ。ポリフォニックなのである。全員がバラバラにやっているようにも感じられるところも多々あったし、かと思うと、小鼓と大鼓が完璧にシンクロしたり、小鼓と舞がほんの少しずれてたりする。鐘入りの直前には打楽器とシテの床踏みがはっきりしたテンポを表出したりもして(基本的にはどこも拍子のある演奏なのだろうけど)、本当に頭が変になりそうだった。こんなものは今まで観たことも聞いたこともない。自分の感覚が遊ばれているかのようだ。
すったもんだのあげく、蛇女は鐘に入る。ここまでで演目全体(約2時間)の7割くらいだったろうか。面白かったのは、オープニング(奏者達は見えなかったが、4人で演奏していたと思う)を除くと、ここまで太鼓が一切登場していない点である。鐘入り後の音楽で初めて舞台でのカルテット(能管、小鼓、大鼓、太鼓)の合奏になったのである。こういうところがまた考えさせる。楽器担当はたった4人しかいないんだから、もっと有効に使うでしょう、普通は。しかし、逆に考えれば、たった4人しかいないからこそ、組み合わせの違いで音楽の違いを表すことが出来るとも言える。
それにしても打楽器3人に管楽器ひとりという編成は変だ。しかも能管はメロディー楽器と言える代物ではない。やたら乾いた音色か湿った音色のパーカッション、それにノイズ(といったら失礼だろうが)を奏でる管楽器、どれも応用があまりきかない特殊楽器と言える(太鼓はそうでもないか)。このかたよった楽器ばかりの面子でどの演目もやる、というのがまさに能の形式美なのであり、その中においての微妙な違いこそがものを言うのであろう。実に抽象的である。
役者も演奏者も、他と比べて、凄いのかそうでもないのか、と言ったことは私にはまったくわからない。もっと能を観ていくとそういうことが分かるのかもしれないが、それはどうでも良い気がしないでもない。なんであれ、どんな演技であれ、どんな演奏であれ、それはそれで何かになる、能にはそういう可能性があるように感じたからである。もちろん素人が見よう見まねで出来るものではない。だが、演者が長い時間をかけてあるレベルに達したら、あとは----鑑賞する側にとっても----融通無碍な世界が開かれている、そういうものなのではないか、ひょとしたら?