明日は選挙

私が小学校高学年の頃、我がクラスには「八丈島」が存在した。何のことかって?
同級生の多くはこのことを忘れているだろう。だが私は忘れない。忘れてたまるか! しかし、このことを書くことには長い間ためらいがあった。何回も書き始めたが、ある理由から、それを公表することを控え、その原稿を消した。理由は書かないが、それは私自身に関することではない。
しかし、ネタとしては相当強力なので、飲み屋でのヨタとして、親しい友人は何回かこの話を聞かされていると思う。本当は言いたくてしょうがないのである。そして書きたくてしょうがない。だが実際に書いてみると公表するのが嫌になってくる。でも、もういいや、こういうことがあった、それを虚飾ぬきの誇張なしでーーそれはどだい無理なことなんだがーー書けばいい。そう思うことにした。感じたままを書く。
ある日、担任の先生がクラスの問題児を集めて特別の班を作ると言った。それが「八丈島」である。こうして、よくは憶えてないがその時のクラスの構成員は40人強いたはずだから、一班6人として、1班から6班までの普通の班と、そして吹き溜まりの「八丈島」とにクラスが分けられることになった。これは記憶違いかもしれないが、確か番号が若い方の班が成績優秀者で構成されていたと思う。つまり、第6班はちょっとしたそそうで「八丈島」の島民になる可能性があるというスリリングな位置づけにあった。ちなみに「八丈島」の班員になることを担任は「島流し」と言ったーーそんなハイブロウなギャグが小学生にわかるわけないだろう!
私がどの班にいたかと言うと、それはもちろん名誉ある「八丈島」で、しかもその班長であった(この地位が他の人にわたることは卒業するまでなかった)。それは私がクラスで一番の問題児であったことを意味する。しかし、私がどんな悪いことをしたというのか? もちろん勉強はできなかった。そんなものしたくなかったから。宿題なんてやりませんよ。興味ないから。それがそんなに悪いことですか? 自分の問題でしょう? それと、当時は給食を残すとそのまま食器が午後の授業まで残っていたから、面倒臭いので窓から給食を捨てた。そんなことは何回かやった。そんなバチアタリなことはしたくなかったけど、見せしめにされるのもっと嫌だったので。あとは、「俺の授業が受けたくないやつは帰れ」と言われ、そのまま命令通りに家に帰った、とかそんなささいなことしか思い当たることがない。
私はクラスの中で目立とうとは微塵も思ってなかったし、平和を乱すようなこともしなかった。ケンカなんてしなかったどころか、むしろ何人かの同級生からはいじめられていた(これは別の話としよう)。私の願いはこの嫌でたまらない学校生活をどうやってやり過ごすことができるか、ただ、それだけだった。そっとしておいて欲しかった。無視してくれて全然結構! ほっといてください。
ところが大人というのは、そっとしておいてくれない。なんとか更生させようと躍起になるのである。こいつはおかしい、なんとかしなければ、と。しかし、それが正しいやり方でなされることはほとんどないーーと今は確信している。
当時は今と違って体罰は当たり前だった。青いビニール製の縄跳びのひもがあって、それを使って生徒の脛を打つというのが担任のお気に入りの拷問だった。これが意外と痛い(ちなみに私は学校で一二を争う縄跳びの名人で、それが拷問の道具に使われることにはそれなりの抵抗があった)。凄いのは、この体罰を授業参観でもやっていたことである。その際にパフォーマンスの生贄にされるのはこの私である。これは完全にみせしめであった。ところが、こっちにも意地がある。そんなことで屈服したくはない、というより、そんなことまったくどうでもよかった。勝手にやってください、こちらは戦う気はないんだから。
それだけじゃない。その時は何とも思わなかったがーー今でもある意味そうだがーー、「杉本君の30年後」を作文のテーマとして宿題が出されたこともある。しつこいけど、なんでほうっておいてくれないのかなあ? これはもういじめでしょう? しかも、その作文をまとめたものは30年経ったら私に渡されるとのことだったが、もらってないよ! せめて言ったことは実行しなきゃだめでしょ。ああ、読みたい!
ある日テレビを見てたら、単なる偶然で、この担任が出ていた。校長になっていた。過去の悪行をネタにコイツを脅迫しようかと思ったが、思いとどまった。それでは同じ種類の人間になってしまう。立派な人格者になれてよかったね、でも、私には関係ありません。それでいい。
しかし、私は「八丈島」を懐かしく思う。クラスメートの名前なんてほとんど忘れてしまったが、「八丈島」のメンバーはなぜか忘れることができない。思えば、今だって私は「八丈島」に住んでいると言えるかもしれない。そういう人間だから、これからもそういう風に生きていくしかないのである。まあどうしようもない人間である。発展/繁栄には無縁であるし、また関心もない。人からバカにされてもいい。そうされるに値する存在であると自覚しているから。プライド?、そんなものどうでもいいですよ。多くの人はそれを履き違えている。ささいなことに自尊心を持ち出したってしょうがない。肝心なのはどうしても譲れないものである。そのためには、あとはヘラヘラしてたっていい(難しいのはわかるけど )。それがあるかないか。
異質なもの、それは確かに存在する。それを守るだの尊重するだのいう議論が出ているが(お為ごかしなんだろうけど)、一番いいのはほうっておくこと、それに尽きるのではないか。文化を守るだとか、そんなのはくだらないたわごとであって、だいたい、異質なものが文化に堕することほど悲しいことはない。目の前の10年か20年か、あるいは100年か、そんなことはやっている方にはあずかり知らんことです。心意気としてはこうでないと。
私の願いはただひとつ。これからもほうっておかれること。そういうものや、それを希求する人が存在することを社会が容認すること。それだけ。